« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »

2004年2月16日

電波が届きません

オタクについて歴史的な物言いをする時、エヴァンゲリオンに一つの画期を見てしまうのはどうしても仕方のないことだし多分それなりに正しいのだろうけれど、個人的にはどうしてもその見方に疑問を抱いてしまう。もっともこれは何らかの根拠のある疑義というのではなくて、放映当時自分が生活していた場所ではテレビ東京系列の電波が届かず、リアルタイムで視聴することができなかったという、まあ要するに田舎者のやっかみみたいなものだ。でもこれ、本当はやっかみなんかじゃなくて、都会人の無意識の傲慢なんじゃないか、という気も少しする。当時テレビ東京系列の電波が届く範囲に日本人口の何パーセントが居住していたのかは知らないけれど、偶然の地理的な状況で視聴できたりできなかったりするアニメーションで日本全体を語ってしまうのはいかがなものだろう、みたいな。いやだからそれは実際に見たとか見てないとかじゃなくて時代精神がね、というのは理解できるけれど、やっぱり体感的にぴんとこないよなあというお話。今となってはネットも普及して、直接視聴できないアニメに対しても何となく祭りの雰囲気を感じることはできるが、そんな便利な時代じゃなかったのだ。

だから、たとえプレイヤーの数が極小だとはいえ、全国を覆う郵便ネットワークを利用していたメイルゲームなんかを語った方がひょっとしたら公平なのかな、と思わなくもない(経験がないので無責任)。これは余りに趣味的な遊びだが、しかし一方で昔から女性のオタクは郵便を主たる通信手段として地方の小イベントでコミュニティを築いていて、これなんかは一つ一つのイベントはとても小さいものであっても、同時代的な体験としては日本全体をカバーしてるような気がする。小学校の頃から手紙とか交換日記とかいう通信手段に慣れきっている女の子と違って、男の子は年賀状以外には文字で通信する習慣を持たないので、メイルゲームなんかが限られた人たちによる遊びになってしまうのは仕方がないけれど、それでも郵便の届く場所にいたなら誰でも参加できる訳で、たとえプレイ経験がなかったとしても、届かない電波に依拠したアニメなんかより何だか諦めもつくというものだ。

で、別に結論はないけれど、やっぱり郵便って凄いなあ、と思いました。と同時に、同時代史めいたものについて言及する時、ピックアップする作品なり何なりが全国的に展開していたか否かについてもうちょっと配慮する必要があるんじゃないかなあ、とも思いました。その辺に注目すると、「同時代史の記述可能性」(何だかよく判らない言い回しだ)の転回点は、第一にレンタルビデオ店が全国的に展開していった80年代後半から90年前後、第二にインターネットが普及した90年代後半、という辺りに見えてくると思うのだけれど、どうでもよさげですかね。ていうかスタート地点はやっかみですよ、やっぱり。

それはそれとして、女の子の手紙文化に言及するとその行き着く先は『アユの物語』になっちゃって鬱になる。援交少女をヴィヴィッドに描き出す様は時代の先端を切り取った気にさせてくれる。ケータイ時代のバイブル? 少女の回復? ハッ。っていうこのスタンス。(←これ、「戯言だけどね」級に便利だなあ。この場合ちょっと用法を間違えているけれど。)

とりとめはありません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »